歴史を勉強するのは嫌いだったのですが、
イザベラバードの本を読んだのと、今バウハウス展が開催されていて、バウハウスについてちょっと調べようとして、結局そこを起点に産業革命以降のあらーいデザインに関わりそうな歴史をネットで調べてみました。
産業革命以降は、技術を率先して取り入れたり、伝統を見直してみたり、出来上がったものを破壊してみたり、といったことが起きていて、そういう歴史と同時期に日本では何が起きていたのか、どの辺でそういう世界の流れにキャッチアップしてきているのか。
そういったことを調べるに当たってWikipediaから多くの知識が得られました。
最近ギャラリーにも行くようになっていて、コンピューター系が展示物に直接絡まないアートにも、メディアアートにも、ここのところ興味が出て来たのですが、理由に心当たりは全然あるのですが、なんとなく今、自分にとって閉塞感の打開の方法としてアートから何かを教えてもらおうとしているように思う。
これは自分だけなのかというところには、興味があるのですが、たとえばGoogleがどうの、MSがどうのといったIT関連の話題には、やっぱり記事はみてしまうものの、そうやってモニタに向かう時間が虚しいなあと思えていて、そういう部分は、ある面で自分の環境があるはずなので、誰しも同じように思うなんてことは無いわけですが、同時にもしかするとなんとなくしらけちゃってる感じは世界の流れでもあったりしないのかなあとか思います。全然はずれているかもしれませんが。
例えば自分はICCに展示されるようなコンピュータを使ったアートは、2000年代は最近までほとんど行っていないような気がしますが、10年ぶりくらいに少し興味を持ったりしているし、ITに関係ないアートを見に行くことにはそれよりも魅かれます。
昔は自分はコンピューターは商売のネタではなくて、作品を生み出すものとして捉えていたように思いますが、ICCの展示を見に行くというのは、前者より後者として再度捉える方向が出てきて、前者が強い時には、後者はむしろ、しらけちゃっているので、見に行く気がしないのですが、後者が強い時には逆に前者がしらけて見えます。実際商売というところは段々空虚な感じがしてきているということか。
さらに、もう1つには自分の生活に比較的近いものごとを、日々沢山ふれようとしても、例えばポータルサイトやブログなど、情報は過多なので結局自分で考えたりアクションを起こさないで終わってしまうのですが、それよりは、自分に関係なさそうなアートから何かを汲み取ろうとする方が、マシだ。快感だ。と自分が選んでいるということかもしれなくて、つまりは刺激の品質は上げて、量は下げるということなのかもしれないです。
もちろん一部のIT事業にはとても輝かしい発展を僕は期待というより確信していて、しかしそういうのが生まれる素地としては。ブログよりアートということなのかなあ。
ほんっと最近誰にとっても役に立たないゴミのような内容を書いてる自分もなんなんだろうか。刺激の品質が上がって量が減るとアウトプットはゴミになるのか。
年が適当かはもちろん保証しません。
1760-1830イギリス産業革命
1851ジョセフ・パクストン クリスタル・パレス
1852パリにボン・マルシェ
1853ペリー来航
1858ニューヨークにメイシーズ
1868明治維新
1868Harper's BAZAR創刊
1878イザベラバード日本紀行(この時点で7年前に人力車登場)
1884ウイリアムモリス アーツアンドクラフツ
1909未来主義創立宣言
1914-1918第一次世界大戦
1919-1933ドイツバウハウス
1929世界恐慌
1934レイモンド・ローウィ電気機関車
1935フランクロイドライト カウフマン邸
1936柳宗悦日本民芸館
1939-1945第二次世界大戦
1940ジョン・ケージ プリペアド・ピアノ
1949下山事件
1953NHKテレビ放送開始
1957柳宗理バタフライ・スツール
1963ナムジュン・パイク ビデオ・アート
1963宇宙船地球号操縦マニュアル
1964東京オリンピック
1964IBMSystem/360
1973三宅デザイン事務所
1974ヒップホップ
1976Apple I
1977セックスピストルズ
1978Aspen Moviemap
1984ニューロマンサー
1985Amiga1000
1987アシッド・ハウス
1992ウゴウゴルーガ
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