しばらく前から電子工作的なことを初めて、それに関わるアルバイトなども始め、度々人と話をする際に「最近電子工作をやってる」、みたいな説明をしていたんだけど、なんというか微妙にその言葉は不十分な感じがしていた。と、今は思う。イヤ実際本当にそう思っていたような気がする。
少し前に、自転車を組み立てることに興味が出た。例えばホイールを作るとかいったこと。工場で作られる完全なかっこいい製品をいいなーとほれぼれ眺めるのと違って、自分で作った方が楽しいだろうし、費用は安くて、性能は低かったとしても自分で作ったものだから愛着を持てる。
同じように、畑で何か育てそれを食べるとかいったこともやったことは無いけど、共通したものがある。そして電子工作というのもそれに近い行為のように思う。
結局これらに共通しているのは、少しの消費と、沢山めの勉強、失敗を繰り返しつつ知恵を得ていく時間、といったものが必要で、お金の占める割合は小さいのだが、それでも楽しいという類いのものだと思う。
こういった所謂DIYと言えるものの内、電気に関わることが多く載っている雑誌がMakeで、電子工作をかなりやり易くしてかつ普及したのがArduinoというデバイスで、そういったものを見たり体験して、自分の中にDIYするという気持ちが芽生えてきたのではないかと思う。
または、思い出したのかもしれない。15年くらい前にマックの中のビデオをコントロールするフィジカルなコントローラーを作りたかったけど、作れなかったこととか思い出す。
そういった中で3日ほど前にCupcakeCNCのことを調べているうちに、Fabという本があることを知った。ニール・ガーシェンフェルドのFAB。日本語翻訳版は中古しかなく、Amazonではものすごく高いんだけど、英語版だと1000円くらいなので買った。ものづくり革命-パーソナル・ファブリケーションの夜明け-ニール・ガーシェンフェルド
この日本語のタイトルにもある「パーソナル・ファブリケーション」という言葉はまずとってもいい響きだったから、そうそうつまり電子工作とかじゃなくて、パーソナル・ファブリケーションなんだよね、とまず思ってしまった。
本が届いて、この本も英語が沢山(てか英語本)なので、多分本当にちょっとしか読まないことになっちゃいそうだけど、とりあえず最初のKellyのところだけ読んだんだけど、良かった。
MITの学生ケリーさんがScreamBodyというモノを作るためにいろいろ勉強しながら作るのだが、著者が書いている通り「彼女はScreamBodyをマーケットのニーズに合わせてつくったのではなく、彼女が欲しかったから作った」。
なんで人名が見出しになっているのか、というところもなるほどね。と思う。マーケットじゃないから。一般化とかして説明する話じゃなくて、その人の話だからという。
2005年の本なんだけど、とてもいい内容じゃないかと(冒頭しか読んでないが)思うので、できれば日本語版を手に入れたい。こうして書籍になっていたり、PDFなんかでもいいけど、ある程度まとまっていると、1つの文化として認識できて、同感する人も沢山いるはずだと思う。
ここのところ自分は何をやりたいのと、自分にいつも聞いているんだけど、要は、僕はそういうことが世の中でより普及したら良いと思っていて、正直なところそれに関わることを仕事にしていきたいと思っている。ただ、どのような仕事が今の自分にあり得るのかが分からない。
買うなら自分の夢を作るための道具を買いたい。人の夢は要らない。という風なことを思う。かなりひねくれて世の中を見てしまっているかもしれないけど。
いろんなものがiPhoneアプリやiPadアプリになって、いろんなものが高品質なTouchで動くようになっていく。そうなってしまったら、そういう乾いた世界に緑を植えるように、自分だけのローファイなジョイスティックを作ると思う。
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